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バイリンガルは、”生まれつき”というより”学んだ”と捉える

今日はバイリンガルの子どもに関する調査です。


Bilingualism changes children's beliefs | EurekAlert! Science News

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概要

children
children / AwesomeSA


概要をひと言で言えば、バイリンガルの子供はEssentioalistではなくなる、ということです。
書いてある通りですが。笑

要は、話す言葉や身体つきなど、何らかの特徴を見た時に、生まれながらに(生得的に)備わっているものと考えるのではなく、学習されたもの、後天的に備わったものだと考えるようになるということです。

一般的な日本人のように、単一言語しか話せない子どもは通常、言語能力などについても生まれながらに備わっているものと考える傾向があります。

一方、バイリンガルなど複数の言語を話す子どもは、学習されたものだと考えるようです。

ただ、言語だけでなく、鳴き声などの生物学的な特徴までも生得的ではなく学習されたものだと考えることもあります。
例:犬に育てられたアヒルは吠えると推測する。

生得的だと捉えるか、後天的だと捉えるか

さて、ここからはこの結果を元に私の考えを述べます。

では、「生得的だ」と捉える傾向が強い方がいいのか、そうでないほうがいいのか、といわれれば、どちらでしょうか?
先ほど申し上げた通り、世の中には生得的なものも後天的なものも存在するので、どちらも誤った認識に陥ることはあります。
もちろん、間違えないのが一番でしょう。

しかしながら、敢えてどちらがいいかと言われれば、やはりEssentialistでない方がよい、と私は考えます。

なぜなら、より多くのものを生得的だと考えることは、より多くのものを「変われない」と考えることにつながるからです。

たとえば、もし自分がここから先、「まったく変われない」と考えると、人は、今の自分を否定するいかなる要素も受け入れることができなくなります。
また、改善のための何の努力もしなくなるでしょう。

こうした考え方については、私がいつもオススメする「やればできる」の研究などが詳しいです。

これは私の仕事上の経験からですが、日本人はやはり、「人は生得的にほとんど決まっている」と考える傾向が強いように思います。

私は大丈夫!と思っても要注意。
これは、無意識のレベル、物事を捉える前提の部分であるというところが、非常にくせものなのです。

人は、常に自分に限界を作ってしまうものです。
将来にポジティブなイメージが持てなくなっていたら、軽く運動しながら、自分が「変われない」と思っていないかチェックしてみましょう。

いやぁ、小さい時から他の言語を話せるってほんと得なこと多いと思います。
ではでは今日はこの辺で。